木下 尊惇

 
   

BIOGRAPHY

木下 尊惇
TAKAATSU KINOSHITA


愛知県蒲郡市出身。小学校を卒業するころアンデス音楽と出逢った木下尊惇は、独学でいくつもの楽器を習得し、やがて来日中のチャランゴ奏者エルネスト・カブールに誘われて、19歳でボリビアへと渡りました。『フォルクローレ』という音楽ジャンルを確立したひとり、70年代までのボリビア音楽を引っ張ってきた天才カブールのもとでギタリストとして活躍しながら、彼はしだいにフォルクローレの真髄を体得していったのです。ボリビア・フォルクローレ界の最前線に身をおき、数多くのアーティスト達と共演しながら、各地の祭事音楽の収集や、古い舞曲などの研究にも熱心に取り組みました。彼が今も主宰するグループ『ルス・デル・アンデ』が80年代に大ヒットを飛ばし、タカアツ・キノシタの名がボリビア・フォルクローレの世界で一躍有名になった頃、彼は古いボリビア舞曲の数々を、ギター一本で表現する事に熱意を傾けていたのです。
 ボリビアに生活して約10年、その音楽を知り、歴史を知り、そしてその文化を知るにつれて、彼の中には自らの方向性が見えて来ました。日本人である自分が、ボリビアのフォルクローレを創ることの意義も、はっきりとしてきたのです。
 『新たなる伝統の創造・・・ネオ・トラディシオナリスモ』彼が提唱するこのスタイルは、ボリビアの若手音楽家のあいだに支持者が多く、現代の伝統を追求する動きが出始めています。そのきっかけとなった2枚のアルバム五百年の後』と、組曲『生きとしいけるものへのために』は、ルス・デル・アンデで発表した当時('91,'98)、ボリビア音楽界に大きな議論を巻き起こしたのです。
 日本に拠点を移してからも、さらに活発で斬新な活動を続ける木下尊惇ですが、近年ソロ・アルバム『シロツメクサの指輪』『涙色の首飾り』を発表しました。ギターだけでオリジナルを弾く・・・自分の原点に立ち返ったような音づくりに、今の彼の音楽に対する姿勢の一面を垣間見る事が出来ます。また、2002年にはNHK BShi「美しき日本・百の風景」のテーマ音楽を担当したり、詩画集「天までとどけ」を出版するなど、多方面に活動の場を広げています。
 表面的なフォルクローレらしさを脱ぎ捨てた本物のボリビア音楽を、一人でも多くの方々にお伝えする事ができるよう、そしてご自分の音楽ライブラリーの中に『フォルクローレ』を加えてくださる方が増えるように、真のフォルクローレの心を伝えるべく、木下尊惇は、全国各地でギターと弾き語りによるライブ活動を展開しています。

木下尊惇オフィシャルホームページ>>



1980 来日中のチャランゴ奏者エルネスト・カブールと出会い、彼のコンサート、レコーディングに参加。
1982 カブールの強い勧めにより、ボリビア行きを決意、高校卒業後、単身ボリビアへ渡る。カブールのコンフント(グループ)に参加、彼のギタリストとして、ボリビア各地、チリにて演奏。
『グルーポ・ウマ』のレコーディングに参加、そのアルバムがフォルクローレ・ランキング・ベスト、トップになる。
"NOE GUARABIA Y EL GRUPO UMA"
SLP 2221 (HERIBA) BOLIVIA 廃盤
1983 カブールの来日ツアーに参加、全国各地でコンサート。
1984 ラ・パスで初のギター・リサイタル。
1985 歌手ルイス・リコのギタリストとしてヨーロッパ・ツアー。

ユニセフ青年ブラス・フェスティバル(ジュネーブ)にて演奏。
1986 作曲家オルランド・ロハースより 『ルス・デル・アンデ』 を引き継ぎ、5人の若手音楽家たちと共に演奏活動を開始する。
1987 ボリビア・ギター・フェスティバルに招待され演奏、勲章を受ける。
1988 ボリビア民族舞踊団を率いて来日公演。
TBS系テレビ番組 『住めば地球』 に取り上げられる。
新生『ルス・デル・アンデ』 初アルバムを発表、ベスト・テンのトップになる。
"LUZ DEL ANDE"
SLPL-13608 (LYRA) BOLIVIA 廃盤
1989 ギター・ソロ・アルバム 『POR LOS CAMINOS DE BOLIVIA』 を発表。
"POR LOS CAMINOS DE BOLIVIA"
TAKAATSU KINOSHITA
SLPL-13660 (LYRA) BOLIVIA 廃盤
女性歌手スルマ・ユガールのギタリストとしてUSAツアー。
1990 『ルス・デル・アンデ』 日本外務省に招待され来日公演。
1991 日本にも拠点をおき、音楽活動を開始。
映画『橋のない川』 の音楽をカブールと共に担当、演奏。
"THE RIVER WITH NO BRIDGE 橋のない川"
ERNESTO CAVOUR
POCP-1166 (POLYDOR)JAPAN 廃盤
1992 『ルス・デル・アンデ』 アルバム"PHESKA PATAC MARAT..."を発表。

カブールと共に日本ツアー。
"PHESKA PATAC MARAT..."
LUZ DEL ANDE
SLPL-13725 (LYRA) BOLIVIA 廃盤
1993 『ルス・デル・アンデ』 第一回日本ツアー。

CD 『きらめくアンデスの光』、プロモーション・ビデオを発表。
"MENSAJE DESDE LOS ANDES"
LUZ DEL ANDE
FB-3001 (DISCO AMIGO)JAPAN 廃盤
1995 『ルス・デル・アンデ』 第二回日本ツアー。

CD 『夢よ、未来よ、想い出よ、希望よ・・・』 ライブ・ビデオ 『ルス・デル・アンデ・エン・コンシエルト』 を発表。
"YUME-YO, MIRAI-YO, OMOIDE-YO, KIBOU-YO..."
LUZ DEL ANDE
FB-5001 (DISCO AMIGO) JAPAN 廃盤
キング・レコード世界民族音楽シリーズより、CD 『ルス・デル・アンデ』 が、日本及び欧米諸国でリリースされる。

長唄三味線の杵屋栄敏郎氏、筝の林美也子氏とのジョイント・コンサート 『二十二弦の響き』 をプロデュース、上演。
"BOLIVIAN FOLKLORE OF LUZ DEL ANDE"
KICW 1012(KING)JAPAN
1996

『ルス・デル・アンデ』 ボリビア音楽家協会ABAIEMより 『イジャ・デ・オノール(文化功労賞)』 を授与される。

ボリビアにてルス・デル・アンデのベスト盤CDリリースされる。

"LO MEJOR..."
LUZ DEL ANDE
CD-13952(DISCOLANDIA)BOLIVIA
チャランゴ奏者アレハンドロ・カマラとの日本ツアーをプロデュース、全国各地にて公演。
1997 ボリビア民族舞踊団 『バレエ・ボリーヴァル・ナゴヤ』 第一回公演『ウマ・ワユリーアンデスに広がる少女の夢』を制作、上演。
1998 『ルス・デル・アンデ』第三回日本ツアー。
組曲いきとし生けるものへのために』 を発表。同タイトルのCDを発売。
"SUITE ECOLIGIO SER" / LUZ DEL ANDE
(EPONEO)JAPAN 廃盤
1999 初の国内ソロ・アルバム『シロツメクサの指輪』を発表。同アルバムが、FMfan誌上で、99年ベスト・アルバムのひとつに選ばれる。
"シロツメクサの指輪"
木下尊惇
CACE-2805 (CANDY) JAPAN
『SANE・エクアドル・コンサート99”』(エクアドルの子供たちのために学校を造るNGO主催)、日本人ボリビア移民百周年記念公演 『ボリビア・フォルクローレによる三つの組曲"LA VIDA, ROMANCE Y CARNAVAL"』『ムシカ・デ・マエストロス六重奏団コンサート』 などを演出、演奏
2000 たばこと塩の博物館企画展特別イベント 『魅惑のボリビア』 コンサートを演出、演奏。また同展示会期間中ボリビア音楽に関するレクチャー・コンサートを行う。
『SANE・エクアドル・コンサート2000”』演出。
2作目のオリジナル作品集 『涙色の首飾り』 を録音、7月10日発売。全国各地で同タイトルのコンサートを展開。
"涙色の首飾り"
木下尊惇
CACE-2807 (CANDY) JAPAN
2001 taka taka OFFICEを東京都文京区に開設。
橋爪功主宰、西伊豆土肥町での『菜の花舞台」に参加。
東京お台場TLGにて、日本人アーティスト達と組曲『生きとしいけるものへのために』を再演。
NHK FMシアター『誰がパロミノモレーノを殺したか』挿入歌を歌う。
2002 NHK BS-hi ハイビジョン・スペシャル『美しき日本・百の風景』テーマ音楽を担当、作曲と演奏を手がける。(02年1月より約3年間放送予定)
ボリビア大水害救援コンサート『HERMANDAD』に参加。
詩画集『天までとどけ』を北水より出版。
六本木 STB139 にて,多ジャンルにわたる仲間のミュージシャン8名を招き、コンサートを行う。
ボリビアの実力派歌手、エドガール・ビジャロエルと日本各地で公演。
2003 アルパ奏者 上松美香のゲストプレーヤーとして、2000年のデビューより、全国250カ所でのコンサート、及びTV収録等に参加。
加藤登紀子主催、テアトロ・スンガリー青山『春の祭典』にゲストとして参加。
2004 ボリビア映画集団「ウカマウ」プロデューサー、ベアトリス・パラシオス追悼上会にてゲスト演奏。
2005 3作目のオリジナル作品集 『涙色の首飾り』 を録音、4月6日発売。
"十二月の肖像"
木下尊惇
CACE-2809 (CANDY) JAPAN
ボリビア国内では、多くの演奏家たちと共演、また数多くのアルバムをプロデュース、録音に参加。また、日本各地でも毎年精力的に演奏活動を展開している。フォルクローレ音楽の教授としても評価が高く、プロ、アマ問わず、多くの生徒の指導を行っている。

●フォルクローレ・コンフント「ルス・デル・アンデ」リーダー
●ボリビア民族舞踊団「エンブルーホ・アンディーノ」芸術監督
●Escuela Boliviana de FOLKLORE(ボリビア・フォルクローレ音楽学校)主宰
●ABAIEM(ボリビア音楽家協会)、SOBODAICOM(ボリビア作曲家協会)、SABV(ボリビア芸術家協会)会員