1980 |
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来日中のチャランゴ奏者エルネスト・カブールと出会い、彼のコンサート、レコーディングに参加。 |
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1982 |
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カブールの強い勧めにより、ボリビア行きを決意、高校卒業後、単身ボリビアへ渡る。カブールのコンフント(グループ)に参加、彼のギタリストとして、ボリビア各地、チリにて演奏。 |
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『グルーポ・ウマ』のレコーディングに参加、そのアルバムがフォルクローレ・ランキング・ベスト、トップになる。 |
"NOE GUARABIA Y EL
GRUPO UMA"
SLP 2221 (HERIBA) BOLIVIA 廃盤 |
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1983 |
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カブールの来日ツアーに参加、全国各地でコンサート。 |
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1984 |
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ラ・パスで初のギター・リサイタル。 |
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1985 |
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歌手ルイス・リコのギタリストとしてヨーロッパ・ツアー。
ユニセフ青年ブラス・フェスティバル(ジュネーブ)にて演奏。 |
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1986 |
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作曲家オルランド・ロハースより 『ルス・デル・アンデ』
を引き継ぎ、5人の若手音楽家たちと共に演奏活動を開始する。 |
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1987 |
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ボリビア・ギター・フェスティバルに招待され演奏、勲章を受ける。 |
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1988 |
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ボリビア民族舞踊団を率いて来日公演。 |
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TBS系テレビ番組 『住めば地球』 に取り上げられる。 |
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新生『ルス・デル・アンデ』 初アルバムを発表、ベスト・テンのトップになる。 |
"LUZ DEL ANDE"
SLPL-13608 (LYRA) BOLIVIA 廃盤 |
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1989 |
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ギター・ソロ・アルバム 『POR LOS CAMINOS DE BOLIVIA』
を発表。 |
"POR LOS CAMINOS DE
BOLIVIA"
TAKAATSU KINOSHITA
SLPL-13660 (LYRA) BOLIVIA 廃盤 |
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女性歌手スルマ・ユガールのギタリストとしてUSAツアー。 |
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1990 |
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『ルス・デル・アンデ』 日本外務省に招待され来日公演。 |
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1991 |
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日本にも拠点をおき、音楽活動を開始。 |
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映画『橋のない川』 の音楽をカブールと共に担当、演奏。 |
"THE RIVER WITH NO
BRIDGE 橋のない川"
ERNESTO CAVOUR
POCP-1166 (POLYDOR)JAPAN 廃盤 |
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1992 |
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『ルス・デル・アンデ』 アルバム"PHESKA PATAC MARAT..."を発表。
カブールと共に日本ツアー。
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"PHESKA PATAC MARAT..."
LUZ DEL ANDE
SLPL-13725 (LYRA) BOLIVIA 廃盤 |
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1993 |
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『ルス・デル・アンデ』 第一回日本ツアー。
CD 『きらめくアンデスの光』、プロモーション・ビデオを発表。 |
"MENSAJE DESDE LOS
ANDES"
LUZ DEL ANDE
FB-3001 (DISCO AMIGO)JAPAN 廃盤 |
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1995 |
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『ルス・デル・アンデ』 第二回日本ツアー。
CD 『夢よ、未来よ、想い出よ、希望よ・・・』 ライブ・ビデオ 『ルス・デル・アンデ・エン・コンシエルト』 を発表。 |
"YUME-YO, MIRAI-YO,
OMOIDE-YO, KIBOU-YO..."
LUZ DEL ANDE
FB-5001 (DISCO AMIGO) JAPAN 廃盤 |
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キング・レコード世界民族音楽シリーズより、CD 『ルス・デル・アンデ』 が、日本及び欧米諸国でリリースされる。
長唄三味線の杵屋栄敏郎氏、筝の林美也子氏とのジョイント・コンサート 『二十二弦の響き』 をプロデュース、上演。 |
"BOLIVIAN FOLKLORE
OF LUZ DEL ANDE"
KICW 1012(KING)JAPAN |
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1996 |
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『ルス・デル・アンデ』 ボリビア音楽家協会ABAIEMより 『イジャ・デ・オノール(文化功労賞)』 を授与される。
ボリビアにてルス・デル・アンデのベスト盤CDリリースされる。
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"LO MEJOR..."
LUZ DEL ANDE
CD-13952(DISCOLANDIA)BOLIVIA |
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チャランゴ奏者アレハンドロ・カマラとの日本ツアーをプロデュース、全国各地にて公演。 |
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1997 |
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ボリビア民族舞踊団 『バレエ・ボリーヴァル・ナゴヤ』 第一回公演『ウマ・ワユリーアンデスに広がる少女の夢』を制作、上演。 |
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1998 |
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『ルス・デル・アンデ』第三回日本ツアー。
組曲いきとし生けるものへのために』 を発表。同タイトルのCDを発売。 |
"SUITE ECOLIGIO SER"
/ LUZ DEL ANDE
(EPONEO)JAPAN 廃盤 |
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1999 |
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初の国内ソロ・アルバム『シロツメクサの指輪』を発表。同アルバムが、FMfan誌上で、99年ベスト・アルバムのひとつに選ばれる。 |
"シロツメクサの指輪"
木下尊惇
CACE-2805 (CANDY) JAPAN |
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『SANE・エクアドル・コンサート99”』(エクアドルの子供たちのために学校を造るNGO主催)、日本人ボリビア移民百周年記念公演
『ボリビア・フォルクローレによる三つの組曲"LA VIDA, ROMANCE Y CARNAVAL"』『ムシカ・デ・マエストロス六重奏団コンサート』
などを演出、演奏 |
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2000 |
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たばこと塩の博物館企画展特別イベント 『魅惑のボリビア』
コンサートを演出、演奏。また同展示会期間中ボリビア音楽に関するレクチャー・コンサートを行う。 |
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『SANE・エクアドル・コンサート2000”』演出。 |
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2作目のオリジナル作品集 『涙色の首飾り』 を録音、7月10日発売。全国各地で同タイトルのコンサートを展開。 |
"涙色の首飾り"
木下尊惇
CACE-2807 (CANDY) JAPAN |
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2001 |
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taka taka OFFICEを東京都文京区に開設。 |
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橋爪功主宰、西伊豆土肥町での『菜の花舞台」に参加。 |
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東京お台場TLGにて、日本人アーティスト達と組曲『生きとしいけるものへのために』を再演。 |
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NHK FMシアター『誰がパロミノモレーノを殺したか』挿入歌を歌う。 |
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2002 |
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NHK BS-hi ハイビジョン・スペシャル『美しき日本・百の風景』テーマ音楽を担当、作曲と演奏を手がける。(02年1月より約3年間放送予定) |
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ボリビア大水害救援コンサート『HERMANDAD』に参加。 |
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詩画集『天までとどけ』を北水より出版。 |
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六本木 STB139 にて,多ジャンルにわたる仲間のミュージシャン8名を招き、コンサートを行う。 |
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ボリビアの実力派歌手、エドガール・ビジャロエルと日本各地で公演。 |
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2003 |
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アルパ奏者 上松美香のゲストプレーヤーとして、2000年のデビューより、全国250カ所でのコンサート、及びTV収録等に参加。 |
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加藤登紀子主催、テアトロ・スンガリー青山『春の祭典』にゲストとして参加。 |
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2004 |
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ボリビア映画集団「ウカマウ」プロデューサー、ベアトリス・パラシオス追悼上会にてゲスト演奏。 |
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2005 |
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3作目のオリジナル作品集 『涙色の首飾り』 を録音、4月6日発売。 |
"十二月の肖像"
木下尊惇
CACE-2809 (CANDY) JAPAN |
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ボリビア国内では、多くの演奏家たちと共演、また数多くのアルバムをプロデュース、録音に参加。また、日本各地でも毎年精力的に演奏活動を展開している。フォルクローレ音楽の教授としても評価が高く、プロ、アマ問わず、多くの生徒の指導を行っている。
●フォルクローレ・コンフント「ルス・デル・アンデ」リーダー
●ボリビア民族舞踊団「エンブルーホ・アンディーノ」芸術監督
●Escuela Boliviana de FOLKLORE(ボリビア・フォルクローレ音楽学校)主宰
●ABAIEM(ボリビア音楽家協会)、SOBODAICOM(ボリビア作曲家協会)、SABV(ボリビア芸術家協会)会員
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