“フォルクローレについて
 

アンデス諸国とその周囲に暮らす人々の音楽“フォルクローレ”。この音楽の代表曲といえば名曲“コンドルは飛んで行く”を挙げる方が多いでしょう。ケーナの奏でるどこか悲しげで牧歌的な旋律は私達が思い描く遠いアンデスの情景、遥かな大地、霧に覆われた山々、厳しい自然に暮らす人々、インカの悲哀…これらのイメージに最も相応しい音楽であるのかも知れません。しかし、それは様々な魅力を持つこの音楽のほんの一側面に過ぎないのです。音楽は本来、耳で聴いて感性で捉えるものですがその魅力をよく深く味わっていただくために知っておいていただきたい予備知識や音楽の生まれた背景を簡単にまとめてみました。インターネットの特性を生かし実際に音楽や画像をお楽しみいただきながら一読いただけたらと思います。

様々な表情を持つ“フォルクローレ”

“フォルクローレ”の舞台であるアンデス山脈は南アメリカ大陸の太平洋側を北から南へと縦断しています。西側の海岸部から突如6千メートルの峰々へと駆け上がり、さらには東側のアマゾン低地へと繋がる地形から生じる風土はそこに暮らす人々の生活はもちろん、その地で演奏される音楽にも多大な影響を与えます。それは草木も育たぬ厳しい気候の高原地方のものどこまでも続く遥かな平原のものかうっそうと草木生い茂るジャングルののものかはたまた潮風の香りのする海岸地方のものなのか?それぞれの地で奏でられる音楽にはその土地の生活匂いが染み着いているものです。

 

歴史や宗教、社会的要素も音楽に影響を与えます。古来、南米大陸ではアンデス一帯を支配した“インカ帝国”をはじめとする様々な文明が栄えて来ました。そしてご存知の通り500年前のコロンブスによる新大陸の“発見”以降、スペインによる植民地支配を受け近年に至るまで西洋から搾取の歴史を余儀なくされてきました。
しかし同時に、彼らはスペインを中心とする西洋文化の要素をもたらし、音楽の分野にも大きな変化を生まれました。それまで新大陸には存在しなかったといわれている弦楽器は各地で独自に発達し、今やアンデス音楽には無くてはならぬものとなっています。
また、忘れてならないのは植民地時代に奴隷として連れてこられたアフリカ系住民の存在です。彼らは主には荘園のあった海岸地方や一部アマゾン低地に暮らしていますが、とりわけ近年彼らの音楽が有するアフリカ系音楽要素に注目が集まっています。

“フォルクローレ”と呼ばれる音楽も、それはインカの昔から伝えられてきたものか植民地時代のスペイン音楽の影響色濃いものかアフリカから奴隷として連れてこられた人々のものか聖なる儀式に演奏されるものか祭りで踊りの伴奏に使われるのかラジオから聴こえる流行歌なのかそれとも弾圧の中から明日への希望を求めるものかはたまた恋人達の愛のささやきなのか…?といった具合に多様な表情をみせ、これら要素が地域や隣り合うコミュニティーごとに影響し合い多種多様に混ざり合いながら、音のグラデーションと呼ぶに相応しい連鎖した微妙な差をもたらし、今も尚複雑に進化を重ね続けています。そう、一言に“フォルクローレ”といってもその魅力は多様多彩で尽きることの無い魅力に満ちているのです。

“コンドルは飛んで行く”の大成功とブームの時代

 

アンデスのメロディは1940年代辺りから当時の文化の発信地であったパリに於いて紹介され始めました。ポピュラー・ミュージックとして一般に知られるようになったのは1950年代のはじめアルゼンチンでのフォルクローレ・ブームを受けて、まず“ウマウアカの男 (EL HUMAHUAQUEN~O)”が“花祭り(LA FETE DES FLEURS)”のタイトルでシャンソンとして採り上げられ、パリをはじめとするヨーロッパでヒット。

 

その頃より南米から次々と音楽家がこの地へと渡り1963年に“ロス・インカス”が“コンドルは飛んで行く”を現在一般的に知られるアレンジでリリース、1966年ボリビアで結成されたの“ロス・ハイラス”が1969年にヨーロッパに渡り人気を博すなど着実に認知度を高めていきました。

 

そんな中、アメリカで“サイモンとガーファンクル(S&G)”としてデビュー・アルバムをリリースしたもののセールスに結びつく事も無く単独でヨーロッパへ渡っていたポール・サイモンが1965年のパリでの公演で同じステージに出演していた“ロス・インカス”の演奏に出逢います。この後“S&G”はブレイクを迎えるのですが、1970年リリースの傑作アルバム“明日に架ける橋(BRIDGE OVER TROUBLED WATER)”の中でパリで出逢った“ロス・インカス”を迎え“コンドルは飛んで行く”に自らの詞を付け加え録音、このアルバムは全世界で売上が1000万枚を超える大ヒットとなりました。ケーナとチャランゴのエキゾティックな音色とともに録音された“コンドルは飛んで行く”はこのアルバムからの4枚目のシングルとして発売、ビルボード全米18位(ヨーロッパでは更に人気は高くこの年の年間1位となっている国も少なくありません)の世界的大ヒットとなりました。

 

当時の日本でもこの曲は大ヒット。実はアンデスのメロディーは日本民謡の5音階にも通ずる調べでどこか我々に懐かしささえ感じさせます。哀愁あるケーナの響きは一大ブームとなり、この頃この音楽をアルゼンチンでの呼び名に従い“フォルクローレ”と呼ばれるようになった様です。もともと“フォルクローレ(FOLKLORE)”とはスペイン語で“民間伝承、民俗学、民族音楽”を指す言葉ですが、以来日本では“フォルクローレ”といえば特にアンデス地方の伝統音楽とそこから派生した大衆音楽のジャンルを指す言葉として使用されています。

 

ブームの頃の“フォルクローレ”、今ほど情報の発達していなかったこの時代、アンデスのメロディーはアルゼンチンやヨーロッパの音楽家を通じて世界へと発信されていきました。いわば、一旦彼らのフィルターを経て“コンドル〜”に代表される様な牧歌的で哀愁漂う“フォルクローレ”像が創りあげられたとも云えます。もちろんこれも“フォルクローレ”の魅力の大切な要素である事に間違いはありませんが、マーケットで成功する為に削ぎ落とされたものの中にも大切な部分があったのも事実です。

今も生き続ける“フォルクローレ”

先にも挙げましたとおり民族音楽というものは一般的に祖先より伝承された音楽であり、時代の流れに左右される事の無い性格のものですが“フォルクローレ”はスポンジのように様々な要素を取り込み、時代の変化に柔軟に対応しながら今も人々の中に生き続けています。

 

その象徴的な動きとしては‘60〜‘70年代に政治的背景からチリを中心として南米全体に波及した“ヌエバ・カンシオン(新しい歌)”運動、ボリビアのエルネスト・カブールが提唱したネオ・フォルクローレ”運動、更にさかのぼってアタウアルパ・ユパンキをはじめとするアルゼンチンの音楽家による民間伝承研究に基づいた新たな創作活動が挙げられます。

 

一方、70年代辺りから腕に自信のあるミュージシャン達は、その活路を欧米に求めるようになりました。彼らは、外部から自国を見つめ直したが故に、自らのアイデンティティを求めてより伝統的な指向をめざす傾向にある様です。それぞれの拠点で街頭演奏をしながら生計を立て、中にはコンサート活動、アルバム制作を通じ人気を高め、本国へ逆輸入され人気を獲得する者も現れました。

 

その後も様々な試みが繰り返され、さらには西洋のポピュラー・ミュージックと融合されながら自分達の感性や価値観に合った新たな“フォルクローレ”が生まれ続けています。一時、欧米のポップスやダンスミュージック、そしてそれらの流れを汲むクンビア音楽に席捲されていた現地の音楽界も、とりわけここ最近、急速なグローバル化への反動としてか自らのアイデンティティを求める動きが高まっておりこれからどんな音楽が生まれてくるのかファンにとっては楽しみなところです。

 

新たな試みの中に活路を見出そうという動きに対して、時代に取り残され、失われそうになっている伝統をかたくなに守りその魅力を後世に伝えようという動きも存在します。こういった音楽はビジネスとしては成立しにくく、大手のレーベルから採り上げられる事は稀ですが、昨今の技術の発達により中小のレーベルや自主制作の形でリリースされるケースが増えてきています。これらの音源はなかなか一般的な音楽の流通経路に乗らない場合が多いのですが“ディスコ・アンディーノ”ではこれら失われようとしている音楽についても、積極的にご紹介していきたいと思っています。

地域的な特色について

フォルクローレと一括りに云っても、同じアンデス地方に属する音楽でありながら地理的、歴史的、文化的、社会的要因等から様々な特色のある音楽が生まれています。国境というのは伝統音楽が生まれるずっと後に誰かが決めたものであり本来無意味であるはずなのですが、これからフォルクローレを聴いていこうとお考えの皆様の指針となる様、あえて国ごとに特徴付けてみました。リンクのページにはアルバムごとの説明がありそれぞれ試聴ファイルをご用意しておりますので耳でご確認ください。

 ボリビア

迫力あるケーナ、サンポーニャの音色、激しく豊かなリズム、バラエティに溢れたこの国独自の楽器の音色、ボリビアのフォルクローレは多彩な魅力を持っています。ボリビアは、西を6,000メートルを越えるアンデス山脈、東はアマゾン河流域のジャングルに閉ざされ、地理的に外部から孤立した環境にあります。この影響でインカ帝国の時代、あるいはそれ以前からつづく伝統的な文化や慣習がその地方特有に発展し、今も尚伝承されているため、たとえ短期間のフィールドワークであろうとも大量の未紹介の音楽が集まると聞きます。一方、この国では‘60年代から’80年代の初めに“ネオ・フォルクローレ”と呼ばれる、伝統に根ざした新しい音楽を作り出そうとするムーブメントの中心的拠点となり、様々な魅力的な試みが繰り広げられました。 →ボリビアのページへ

 ペルー
 

ペルーの音楽といえば、最もアンデスらしい雰囲気を持つ伸びやかなケーナの響きに代表されるたヤラビと呼ばれる抒情歌やワイノと呼ばれる2拍子のダンス音楽をイメージされる方が多い事でしょう。(あの有名な「コンドルは飛んでいく」の作曲者ダニエル・アロミアス・ロブレスもペルーの出身で、この曲も前半をヤラビ、後半をワイニョのリズム形式で構成されています。) この国はかつて、インカ帝国の中心地であっただけに各地に豊かな音楽性を持つ伝統音楽が存在します。また、都市部を中心に西洋からもたらされたバンドリン、アルパ、バイオリンといった弦楽器を伴奏としたクリオージョ音楽も盛んに演奏されてきました。加えて現在では山岳地方のアンデス音楽のみならず、海岸地方やアマゾンの密林地帯の音楽など、ヴァラエティに富んだ音楽性が注目されています。  →ペルーのページへ

 エクアドル
厳しい風土の山岳地方アンデスにあって、比較的高度が低く過しやすい気候風土で生み出される素朴で穏やかなメロディーライン、リズムが特徴です。特に近年、サンファニートのリズムの人気は高く、他の国のアーティストもよくレパートリーに採りあげて演奏する事が多くなりました。ロンダドール、ドゥルサイナスといったこの地方ならではの楽器の音色も魅力です。 →エクアドルのページへ

 アルゼンチン
1960年代のブームで取り上げられたアーチストの殆どがこの国の出身、あるいはこの国を経由して紹介されました。そういった意味ではフォルクローレの本場として、日本で最もよく知られている国といえるでしょう。同じくこの国で生まれたタンゴに通ずるような都会的で洗練された音楽性が特徴です。フォルクローレが盛んなのは北西部のボリビアとの国境に近いフフイ州です。ここでは毎年、フォルクローレ最大のイベント、"コスキン"が開催されます。永らくアーチストの高齢化と音楽産業自体の衰退が懸念されてきましたが、最近になり新しい視点でフォルクローレをとらえたグループが活躍し人気を得ています。  →その他の国々のページへ

 チリ
過ごしやすい気候からか、他のアンデス諸国に比べスペイン系住民の占める割合が高いものの南北に長い国土をもちそれぞれに特色のある音楽が存在します。永く軍政下に置かれていたため国内のアーチストは亡命を余儀なくされ、それらは主にヨーロッパで活躍しアンデス音楽を欧米に紹介する上で重要な役割を果しました。政治的色合を強調される傾向が強いのですが、ピノチェト政権の崩壊とともに彼らの音楽がそのプロパガンダ的役割を終えた現在、もう一方の側面であった豊かな音楽性が見直されてきています。  →その他の国々のページへ

その他の国々
上記に挙げた国々以外にも、アルパ演奏が盛んなパラグアイ、同じくアルパや大草原のカウボーイの音楽ホローポが有名なベネズエラなどに加え欧米や日本でもそれぞれにオリジナリティに溢れた音楽が存在します。  →その他の国々のページへ

これからフォルクローレをという皆様へのおすすめ作品
 
ペルーをはじめとするアンデス音楽のスタンダード・ナンバーで構成されたインスト集。アンデス音楽入門として初心者のお客様に大好評!
 
アメリカの“チャスキナクイ”による演奏。ペルー、エクアドル、ボリビアの音楽を原曲の雰囲気を残しながら聴きやすく美しいアレンジで演奏しています。
 
“コンドル〜”、“花祭り”、“サリリ”、“泣きながら”…。フォルクローレの演奏会で採り上げられる事の多い定番曲が並びます。演奏はボリビアの腕利きミュージシャン揃い。
 
ストリートで演奏されているノリの良いフォルクローレがお好みならコレ!。アンデス音楽の演奏の場でとりわけレパートリーとされている人気グループのベスト盤です。

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