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アンデス諸国とその周囲に暮らす人々の音楽“フォルクローレ”。この音楽の代表曲といえば名曲“コンドルは飛んで行く” |
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様々な表情を持つ“フォルクローレ” | ||||||||||||||||
“フォルクローレ”の舞台であるアンデス山脈は南アメリカ大陸の太平洋側を北から南へと縦断しています。西側の海岸部から突如6千メートルの峰々へと駆け上がり、さらには東側のアマゾン低地へと繋がる地形から生じる風土はそこに暮らす人々の生活はもちろん、その地で演奏される音楽にも多大な影響を与えます。それは草木も育たぬ厳しい気候の高原地方のものか
歴史や宗教、社会的要素も音楽に影響を与えます。古来、南米大陸ではアンデス一帯を支配した“インカ帝国”をはじめとする様々な文明が栄えて来ました。そしてご存知の通り500年前のコロンブスによる新大陸の“発見”以降、スペインによる植民地支配を受け近年に至るまで西洋から搾取の歴史を余儀なくされてきました。
“フォルクローレ”と呼ばれる音楽も、それはインカの昔から伝えられてきたものか |
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“コンドルは飛んで行く”の大成功とブームの時代 | ||||||||||||||||
アンデスのメロディは1940年代辺りから当時の文化の発信地であったパリに於いて紹介され始めました。ポピュラー・ミュージックとして一般に知られるようになったのは1950年代のはじめアルゼンチンでのフォルクローレ・ブームを受けて、まず“ウマウアカの男
(EL HUMAHUAQUEN~O)”
その頃より南米から次々と音楽家がこの地へと渡り1963年に“ロス・インカス”が“コンドルは飛んで行く”
そんな中、アメリカで“サイモンとガーファンクル(S&G)”としてデビュー・アルバムをリリースしたもののセールスに結びつく事も無く単独でヨーロッパへ渡っていたポール・サイモンが1965年のパリでの公演で同じステージに出演していた“ロス・インカス”の演奏に出逢います。この後“S&G”はブレイクを迎えるのですが、1970年リリースの傑作アルバム“明日に架ける橋(BRIDGE
OVER TROUBLED WATER)”の中でパリで出逢った“ロス・インカス”を迎え“コンドルは飛んで行く”に自らの詞を付け加え録音、このアルバムは全世界で売上が1000万枚を超える大ヒットとなりました。ケーナとチャランゴのエキゾティックな音色とともに録音された“コンドルは飛んで行く”
当時の日本でもこの曲は大ヒット。実はアンデスのメロディーは日本民謡の5音階にも通ずる調べでどこか我々に懐かしささえ感じさせます。哀愁あるケーナの響きは一大ブームとなり、この頃この音楽をアルゼンチンでの呼び名に従い“フォルクローレ”と呼ばれるようになった様です。もともと“フォルクローレ(FOLKLORE)”とはスペイン語で“民間伝承、民俗学、民族音楽”を指す言葉ですが、以来日本では“フォルクローレ”といえば特にアンデス地方の伝統音楽とそこから派生した大衆音楽のジャンルを指す言葉として使用されています。
ブームの頃の“フォルクローレ”、今ほど情報の発達していなかったこの時代、アンデスのメロディーはアルゼンチンやヨーロッパの音楽家を通じて世界へと発信されていきました。いわば、一旦彼らのフィルターを経て“コンドル〜”に代表される様な牧歌的で哀愁漂う“フォルクローレ”像が創りあげられたとも云えます。もちろんこれも“フォルクローレ”の魅力の大切な要素である事に間違いはありませんが、マーケットで成功する為に削ぎ落とされたものの中にも大切な部分があったのも事実です。 |
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今も生き続ける“フォルクローレ” | ||||||||||||||||
先にも挙げましたとおり民族音楽というものは一般的に祖先より伝承された音楽であり、時代の流れに左右される事の無い性格のものですが“フォルクローレ”はスポンジのように様々な要素を取り込み、時代の変化に柔軟に対応しながら今も人々の中に生き続けています。
その象徴的な動きとしては‘60〜‘70年代に政治的背景からチリを中心として南米全体に波及した“ヌエバ・カンシオン(新しい歌)”運動、ボリビアのエルネスト・カブールが提唱した“ネオ・フォルクローレ”運動、更にさかのぼってアタウアルパ・ユパンキをはじめとするアルゼンチンの音楽家による民間伝承研究に基づいた新たな創作活動が挙げられます。
一方、‘70年代辺りから腕に自信のあるミュージシャン達は、その活路を欧米に求めるようになりました。彼らは、外部から自国を見つめ直したが故に、自らのアイデンティティを求めてより伝統的な指向をめざす傾向にある様です。それぞれの拠点で街頭演奏をしながら生計を立て、中にはコンサート活動、アルバム制作を通じ人気を高め、本国へ逆輸入され人気を獲得する者も現れました。
その後も様々な試みが繰り返され、さらには西洋のポピュラー・ミュージックと融合されながら自分達の感性や価値観に合った新たな“フォルクローレ”が生まれ続けています。一時、欧米のポップスやダンスミュージック、そしてそれらの流れを汲むクンビア音楽に席捲されていた現地の音楽界も、とりわけここ最近、急速なグローバル化への反動としてか自らのアイデンティティを求める動きが高まっておりこれからどんな音楽が生まれてくるのかファンにとっては楽しみなところです。
新たな試みの中に活路を見出そうという動きに対して、時代に取り残され、失われそうになっている伝統をかたくなに守りその魅力を後世に伝えようという動きも存在します。こういった音楽はビジネスとしては成立しにくく、大手のレーベルから採り上げられる事は稀ですが、昨今の技術の発達により中小のレーベルや自主制作の形でリリースされるケースが増えてきています。これらの音源はなかなか一般的な音楽の流通経路に乗らない場合が多いのですが“ディスコ・アンディーノ”ではこれら失われようとしている音楽についても、積極的にご紹介していきたいと思っています。 |
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地域的な特色について | ||||||||||||||||
フォルクローレと一括りに云っても、同じアンデス地方に属する音楽でありながら地理的、歴史的、文化的、社会的要因等から様々な特色のある音楽が生まれています。国境というのは伝統音楽が生まれるずっと後に誰かが決めたものであり本来無意味であるはずなのですが、これからフォルクローレを聴いていこうとお考えの皆様の指針となる様、あえて国ごとに特徴付けてみました。リンクのページにはアルバムごとの説明がありそれぞれ試聴ファイルをご用意しておりますので耳でご確認ください。
迫力あるケーナ、サンポーニャの音色、激しく豊かなリズム、バラエティに溢れたこの国独自の楽器の音色、ボリビアのフォルクローレは多彩な魅力を持っています。ボリビアは、西を6,000メートルを越えるアンデス山脈、東はアマゾン河流域のジャングルに閉ざされ、地理的に外部から孤立した環境にあります。この影響でインカ帝国の時代、あるいはそれ以前からつづく伝統的な文化や慣習がその地方特有に発展し、今も尚伝承されているため、たとえ短期間のフィールドワークであろうとも大量の未紹介の音楽が集まると聞きます。一方、この国では‘60年代から’80年代の初めに“ネオ・フォルクローレ”と呼ばれる、伝統に根ざした新しい音楽を作り出そうとするムーブメントの中心的拠点となり、様々な魅力的な試みが繰り広げられました。 →ボリビアのページへ |
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ペルーの音楽といえば、最もアンデスらしい雰囲気を持つ伸びやかなケーナの響きに代表されるたヤラビと呼ばれる抒情歌やワイノと呼ばれる2拍子のダンス音楽をイメージされる方が多い事でしょう。(あの有名な「コンドルは飛んでいく」の作曲者ダニエル・アロミアス・ロブレスもペルーの出身で、この曲も前半をヤラビ、後半をワイニョのリズム形式で構成されています。) この国はかつて、インカ帝国の中心地であっただけに各地に豊かな音楽性を持つ伝統音楽が存在します。また、都市部を中心に西洋からもたらされたバンドリン、アルパ、バイオリンといった弦楽器を伴奏としたクリオージョ音楽も盛んに演奏されてきました。加えて現在では山岳地方のアンデス音楽のみならず、海岸地方やアマゾンの密林地帯の音楽など、ヴァラエティに富んだ音楽性が注目されています。 →ペルーのページへ |
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その他の国々 |
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これからフォルクローレをという皆様へのおすすめ作品 | ||||||||||||||||
試聴するには? 試聴には、Real Player(無料) が必要です。上記のバナーをクリックすると案内ページが開きますので指示に従ってインストールしてください。 |